近畿三十六不動尊霊場 第一番札所 和宗総本山 荒陵山 四天王寺
近畿三十六不動尊霊場 第一番札所 和宗総本山 荒陵山 四天王寺
霊場HP 近畿三十六不動尊霊場会 公式ホームページ(近畿36不動尊巡礼のご案内)
説明文などは公式HPより引用しています。
去る10月8日、近畿三十六不動尊霊場、西国四十九薬師霊場、神仏霊場の朱印帳が必要な為、それらを扱う四天王寺にお参りする事にした。さらに近隣の近畿三十六不動霊場をまわる事にした。
天王寺の街中にある四天王寺はあらゆる宗派が揃うお寺で、見どころがたっぷりなので、気合を入れて朝一に池田市から向かったのである。
南大門前の駐車場に車を止めて南大門より境内へ入る。
南大門の正面に仁王門があるのだが、なんと工事中・・・。仁王様にお目にかかれないとは・・・。平成22年までお会いするのはお預けだ。
南大門をくぐるとすぐの所に「熊野権現礼拝石」という四天王寺四石のひとつがある。昔は熊野詣でに参る前にこちらに参ってから出発していた。10月15、16日とまさに熊野詣でをする予定でこの石をお参りしようと思っていたのだが、仁王門工事のショックですっかり忘れていた。ダブルショック・・・。
ショックを隠し切れずにとりあえず極楽門へと向かう。電車などを使い、歩いてお参りにくると南大門ではなくて極楽門から境内に入ることになるのでそちらから参ることに。
極楽門の先にある石の鳥居。でかい。
くぐると左手には四天王寺学園。学校の門とは思えない。
進んでいくと右に手水所があり、その奥に
乳布袋尊。
くるっと回れ右をすると見真堂。親鸞聖人が祀られている。急いでいたので素通りしてしまった。ごめんなさい。
極楽門(西大門)
HPに推古元年に創建と書いてあったので調べてみたら、なんと593年やった!ヒエ~。綺麗なわけは昭和37年に松下幸之助による寄贈のため。極楽に通ずる門ということで、通称「極楽門」と呼ばれる。
門柱には転法輪があり、参拝者がふれて回すことにより功徳を積むといわれている。もちろん4か所とも回した。
門をくぐった先で
大古本市が行われているみたい。まだ朝早いので準備中。中心伽藍の入り口の西重門までの広場で行われている。
極楽門をくぐりって右を見ると
弘法大師修行像があり、
大使堂がある。
その左の先には
阿弥陀堂があり、左横に
十一面観音菩薩を祀る万燈院がある。ここは大阪十三仏霊場の札所なのだが、まだその巡礼はしてないので簡単なお参りだけする。また改めて参拝する予定。
ここまで歩いてきて中心伽藍に向かうのに元来た道をもどるのもなんなのでこのまま時計回りの逆回りで境内を回ることにした。四天王寺は狭いのにでかいね。
工事中の仁王門を過ぎて右手に
南鐘堂がある。正式名称は鯨鐘堂。くじら!?
その左先の門をくぐると
太子堂がある。正式名称は聖霊院。この向こうに奥殿、経堂、絵堂がある。
四天王寺は聖徳太子が創建されたお寺なので聖徳太子ゆかりのものがたくさんある。
太子堂を出て右に進むと
番匠堂。これも聖徳太子ゆかり。聖徳太子は仏教を広めるだけでなく朝鮮半島の百済国より名工を招き高度な建築技術の向上に努めた。これにより建築関係者に祀られるようになったそうだ。
その斜め向こうに牛王尊。四天王寺建立時、石や材木を運搬していた牛が伽藍が完成するや否や巨石に転じたと伝えられ、それを祀ったもの。現在では牛が草をはむから転じて子供の顔にできるクサ(湿疹やできものなど)を治してくれると信仰を生んで、病気平穏のお参りをする人々が多い。
そしてそのななめ前に亀井堂と亀井不動尊がある。建物右が亀井堂、左が亀井不動尊。
亀井堂の霊水は金堂の地下から湧き出る白石玉手の水であり、回向(供養)を済ませた経木を流せば、極楽往生が叶うと言われている。
本尊は水かけ不動。左に子育て地蔵尊、右に延命地蔵尊を祀る。寺伝によると、聖徳太子が尊いお声に呼び止められ亀井の井戸を覗くと水面に仏法の守護神である不動明王の姿が映っていたため、こちらに不動明王を祀ることとした。とのこと。やはりこちらでも聖徳太子がからんでいたか。
御朱印。写真は別々だが実際は一枚の紙が半折りになっていて、この状態でバインダーにとめる。んだと思う。
近畿三十六不動尊霊場の宝印帳(朱印帳)を購入した。バインダー形式だ。
四天王寺は境内はそこまで広くない。だが見るべきものが非常に多く時間がかかってしまう。ここまででまだ半分くらいしか回ってない。少々あせってきた。
つづく・・・。